2025年11月、高市早苗首相の台湾有事に関する国会答弁をきっかけに、日中関係が急速に悪化しています。中国側は異例の強硬姿勢で反発し、日本への渡航自粛呼びかけや水産物輸入停止など、具体的な報復措置を次々と発動しています。本記事では、この問題の発端から中国の反応、そして今後の日中関係への影響まで、詳しく解説します。
発端となった高市首相の国会答弁
「存立危機事態」発言の内容
2025年11月7日、衆議院予算委員会において、立憲民主党の岡田克也氏から台湾有事について質問を受けた高市早苗首相は、極めて重要な答弁を行いました。
高市首相は「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと、私は考えます」と明言しました。この発言は、中国が台湾に対して軍事力を行使した場合、日本にとって「存立危機事態」に該当する可能性があることを初めて具体的に示したものです。
「存立危機事態」とは何か
「存立危機事態」とは、2015年に成立した安保関連法で定義された概念で、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによって日本国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態を指します。
この事態が認定されれば、日本は集団的自衛権を行使し、自衛隊が武力を用いて同盟国を支援することが可能になります。これまでの日本の歴代政権は、台湾有事が存立危機事態に該当するかどうかについて、明確な言及を避けてきました。
高市首相の答弁は、この「あいまい戦略」から一歩踏み込んだものであり、中国にとっては日本が台湾問題に軍事的に介入する意思を示したものと受け取られました。
中国側の激烈な反応
外交ルートでの抗議と発言撤回要求
中国政府は高市首相の発言に対し、段階的にエスカレートする形で抗議を展開しました。
11月13日、中国外務省は金杉憲治駐中国大使を呼び出し、孫衛東次官が直接抗議を行いました。中国が日本大使を呼んで抗議するのは、2023年8月の福島第一原発処理水放出決定以来のことです。
中国側は高市首相の発言について「中国の内政に乱暴に干渉し、一つの中国原則と中日間の四つの政治文書の精神に対する重大な違反」と強く非難し、発言の撤回を要求しました。さらに、「応じない場合、一切の責任は日本側が負わなければならない」と警告しています。
異例の「斬首」発言とSNS上の過激投稿
特に注目を集めたのが、中国の薛剣駐大阪総領事によるX(旧ツイッター)への過激な投稿です。薛総領事は「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬のちゅうちょもなく斬ってやるしかない。覚悟ができているのか」と投稿しました。
この投稿は外交官としては極めて異例の表現であり、国際社会からも批判を受けました。投稿は後に削除されましたが、中国側の怒りの深さを示すものとして大きな波紋を呼びました。
また、中国外務省の公式Xアカウントには「台湾問題で火遊びをするな」「火遊びをすれば必ず身を滅ぼす」といった警告が並び、中国人民解放軍の機関紙「解放軍報」は「国全体が戦場となる危険がある」と論じました。
中国国防部の警告
11月14日、中国国防部の蔣斌報道官は「日本が歴史の教訓をくみ取らず危険を冒すなら、重大な代償を払うことになる」と強調しました。
蔣報道官は「台湾問題は純粋に中国の内政であり、いかなる外部の干渉も許されない」と主張し、「日本が台湾海峡情勢に武力介入するなら、中国人民解放軍の鉄壁の前で必ず挫折し、重大な代償を払うことになる」と警告しています。
中国による具体的な報復措置
日本への渡航自粛呼びかけ
11月14日、中国外務省と在日中国大使館は、中国国民に対して日本への渡航を当面控えるよう注意喚起を発表しました。
通知では「日本の指導者が公然と台湾問題に関して露骨な挑発的発言をした」と主張し、「日中間の人的交流の雰囲気が著しく悪化し、中国人の身の安全に重大なリスクをもたらしている」と説明しています。
これを受けて、中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空などの中国の航空会社は、日本行き航空券のキャンセル料を免除する措置を発表しました。訪日外国人の約4分の1を占める中国人観光客の減少は、日本の観光業界に大きな影響を与える可能性があります。
日本産水産物の輸入停止措置の再開
さらに深刻な措置として、11月19日、中国政府は日本産水産物の輸入を再び停止すると日本政府に伝達しました。
中国外務省報道官は「高市首相が台湾に関する誤った発言をした」ことが理由の一つだと明言し、「品質の安全を保証する資料が提供されていない」とも説明しています。
中国は2023年8月、東京電力福島第一原発の処理水放出を理由に日本産水産物の輸入を全面停止していました。しかし、2025年6月に福島や東京など10都県を除く37道府県の水産物の輸入再開を発表し、11月上旬には北海道産冷凍ホタテの輸出が再開されたばかりでした。
今回の措置により、日本の輸出関連施設の再登録申請の受け付けが停止され、事実上、輸出ができなくなりました。市場拡大を見込んでいた国内水産業者だけでなく、日本の輸出戦略全体にも影響が出る可能性があります。
日本産牛肉輸出協議の中止
水産物だけでなく、日本産牛肉の輸出再開に向けた政府間協議も、中国側の意向で中止になったことが判明しています。これも高市首相の発言に対する対抗措置の一環とみられています。
なぜ中国はこれほど激しく反発したのか
台湾問題は中国の「核心的利益」
中国にとって台湾問題は「核心的利益」であり、絶対に譲れない一線です。習近平政権は台湾統一を重要な政治目標として掲げており、2025年は中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年、台湾光復80周年にも当たる節目の年です。
このタイミングで日本の首相が台湾有事への軍事的関与の可能性を示唆したことは、中国の国内世論を大きく刺激しました。中国政府としては、強硬姿勢を示さざるを得ない状況に追い込まれたのです。
「あいまい戦略」の終焉への警戒
これまで日本は台湾問題について、中国を刺激しないよう「あいまい戦略」を取ってきました。歴代首相は台湾有事が存立危機事態に該当するかどうかについて、明確な言及を避けてきたのです。
高市首相の発言は、この外交的配慮を破るものと受け止められました。中国側は、日本が台湾問題への関与を深める方向にシフトしたと警戒しているのです。
国内向けのメッセージ
中国国内では政府系メディアの論調が世論を方向づける傾向があり、今回も「対日強硬論」が前面に押し出されました。中国のSNS上では「日本は台湾を利用して中国を弱体化させようとしている」「歴史を忘れた日本が再び軍事的野心を見せている」といった書き込みが相次ぎました。
習近平政権にとって、台湾統一は国内統治の柱の一つです。日本の発言を看過すれば、政権の求心力低下につながりかねません。そのため、国内向けにも強硬姿勢を示す必要があったのです。
日本国内の反応と高市首相の姿勢
高い国内支持率と発言撤回拒否
興味深いことに、中国の強硬姿勢にもかかわらず、高市首相の支持率は80%超の高水準を維持しています。11月10日の予算委員会で、高市首相は発言を撤回しない考えを明確に示しました。
キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦理事は「高市氏が後退するとは思わないし、後退する必要もない」と指摘し、「中国が高市氏を弱体化させようと圧力をかけているなら、おそらく逆効果になるだろう。中国は高市氏のエンジンに燃料を注いでいる」と述べています。
日本政府の抑制的対応
一方、日本政府は中国の報復措置に対して、抑制的な対応を取っています。木原稔官房長官は水産物輸入停止について「中国政府から連絡を受けた事実はない」としつつ、「中国側に輸出円滑化を働き掛けるとともに、残された10都県産の輸入規制撤廃等を強く求める」との従来通りの応答にとどめました。
高市政権の幹部は「特定の事柄と結び付けて、中国側が対応をエスカレートさせたと受け止めないようにすべきだ」と語っており、事態の沈静化を図りたい意向が見られます。
専門家の見解
政治ジャーナリストの清水克彦氏は「超異例と言える4選を目指す習近平総書記にとって、台湾統一に着手することは必須条件になる。日本国民に注意を喚起させるうえで、高市首相の対応は間違っていない」と評価しています。
元RKB解説委員長の飯田和郎氏は、外交上の「あいまいさ」の重要性を指摘しつつも、中国側の激烈な反応の背景には、台湾問題を国内統治の柱としている中国の政治構造があると分析しています。
今後の日中関係への影響
長期化する可能性
外務省幹部は「関係正常化には4〜5年かかるかもしれない」と指摘しています。別の幹部も「中国は米国とうまく外交関係ができている以上、日本を気に掛ける必要がない。今後も圧力を強めるだろう」と懸念を示しています。
中国は今後も、レアアース(希土類)の供給制限など、さらなる経済的圧力カードを切る可能性があります。日本の自動車産業は中国に依存する重要鉱物の供給が制限されれば、深刻な影響を受けることになります。
10月の首脳会談からの急変
高市首相と習近平国家主席は2025年10月31日、韓国で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で初めて会談し、「戦略的互恵関係」の推進を確認していました。
中国では「日本との対話継続のサイン」と受け止められ、11月3日には日本人向け短期ビザの免除期間延長が発表され、7日には日本産冷凍ホタテの対中輸出再開も明らかになっていました。
しかし、高市首相の11月7日の答弁で状況は一変しました。わずか1週間での関係悪化は、日中関係の脆弱性を改めて浮き彫りにしています。
観光業界への影響
中国人観光客の減少は、日本の観光業界に大きな打撃となる可能性があります。一方で、過密化やマナー問題が続いていた観光地では、今回の措置を「観光再設計の好機」と捉える声も一部で浮上しています。
ブルームバーグの報道によれば、事情に詳しい関係者らの話として、旅行会社は今のところ、航空便やホテルのキャンセルが大幅に増える兆候は見られないとしています。実際の影響は今後明らかになるでしょう。
台湾側の反応
国民党元主席らからの批判
興味深いことに、台湾内部からも高市首相の発言に対する批判の声が上がっています。中国国民党の元主席である馬英九氏は「高市早苗氏が台湾海峡に介入する態度は、日本の右翼軍国主義復活を想起させざるを得ない」と述べました。
馬氏は「台湾海峡両岸の問題は外国に委ねるのではなく、海峡両岸自らが話し合わなければならない」と強調し、外国の介入に反対の立場を示しています。
同じく国民党の元主席である洪秀柱氏も「高市早苗氏は台湾海峡での衝突を公然と日本の存立危機事態と結び付け、両岸関係の性質を曖昧にして、架空の軍事シナリオを想定している」と批判しました。
台湾の複雑な立場
台湾内部の反応は複雑です。日本の支援を期待する声がある一方で、台湾問題への外国の軍事的介入が実際の紛争を招きかねないという懸念も根強くあります。
高市首相の発言は正しかったのか
現実的な安全保障認識との評価
高市首相の発言を支持する立場からは、台湾海峡が世界的な物流・エネルギーの要衝であり、万一の武力衝突は日本の経済・社会に直接的影響をもたらすという現実を直視したものだという評価があります。
台湾海峡情勢は「日本の生命線」に近づいており、高市首相の発言は、こうした地政学的状況を前提にした危機意識の表明であり、国内に向けて「想定外を想定せよ」というメッセージを込めたものだという見方です。
外交的配慮の欠如との批判
一方で、外交的配慮を欠いた発言だという批判もあります。歴代政権が維持してきた「あいまい戦略」には、中国を無用に刺激せず、台湾海峡の現状維持を図るという意図がありました。
高市首相の明確な発言は、中国に強硬姿勢を取る口実を与え、結果として日本の国益を損なう可能性があるという指摘です。実際、水産物輸入停止などの経済的損失が生じています。
バランスの取れた評価
現実的には、高市首相の発言には一定の正当性があります。台湾有事が日本の安全保障に重大な影響を与えることは事実であり、国民にその認識を共有させることは重要です。
しかし、発言のタイミングや表現方法については、もう少し外交的配慮があってもよかったかもしれません。中国との関係悪化による経済的損失や、地域の緊張激化というコストも考慮する必要があります。
まとめ:日中関係の新たな局面
高市早苗首相の台湾有事に関する発言は、日中関係に新たな緊張をもたらしました。中国側は異例の強硬姿勢で反発し、渡航自粛呼びかけや水産物輸入停止など、具体的な報復措置を次々と発動しています。
この問題は、単なる外交的失言ではなく、日本が台湾問題に対してより明確な立場を示す方向にシフトしつつあることを示しています。中国にとっては、日本の「あいまい戦略」の終焉と受け止められ、強い警戒感を抱かせました。
今後の日中関係は、長期的な冷え込みが予想されます。経済的な相互依存が深い両国にとって、関係悪化は双方に損失をもたらします。しかし、台湾問題という核心的な対立点がある以上、簡単に関係改善は進まないでしょう。
高市首相の高い国内支持率は、日本国民の多くが中国の脅威を認識し、明確な立場表明を支持していることを示しています。一方で、外交には戦略的なあいまいさも必要です。今後の日本外交には、原則を守りつつも中国との対話チャンネルを維持するという、難しいバランスが求められるでしょう。
2025年は日中関係にとって大きな転換点となる年として、歴史に記録されることになるかもしれません。
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